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『 脳が見るゴール マラソンと神経化学の秘密 』

2020年にフルマラソンサブ3を達成した時の自分自身の感情と心理的側面で考えれる脳内の動きについて考察、エッセイ化しました。
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たった3時間の旅で見つけた、静かな悟り

― フルマラソン2時間59分37秒、その直後に訪れたもの ―

42.195kmという距離を、2時間59分37秒で走りきったあの日。
目標にしていた「サブスリー」を、ついに自分の脚で掴んだ瞬間だった。
タイムを確認したとき、意外なほど涙は出なかった。
代わりに、胸の奥に広がったのは――静かな感謝と、満ち足りた無音だった。 

風の中の42.195km ― 世界が変わった日

当日の朝、空は鉛色に曇り、風速5〜7mの強風が吹き荒れていた。記録更新は正直、難しいだろうと思っていた。それでも、スタートラインに立つ足は軽く、15km地点までは驚くほどリラックスして走れていた。 

 25kmを過ぎたあたりから、身体の重さを感じ始める。臀部の奥に張りと硬さが広がり、動きの一つひとつが僅かに重くなる。40kmに近づくと、風との闘いが本格化する。ペースを守ろうとする意志と、身体の限界からくる静寂が同居し、頭の中は不思議な混乱と澄み切った空白の両方が渦を巻いていた。 

 残り1km、右ふくらはぎが強く痙攣する。さらに向かい風が正面から吹きつける。それでも、どこかで「いける」という確信があった。ラスト100m、記録更新を確信し、全てを出し切る。ゴールラインを越えた時計は2時間59分37秒を示していた。 

 12月の空気にもかかわらず、顔や身体は汗で濡れ、それが乾いて塩のようにこびりついていた。呼吸が落ち着くと、不思議な感覚が押し寄せてきた――
周囲の人々が愛おしく感じられ、見知らぬ人にまで感謝があふれ出す。道端の木々、冷たい風、空の色すら一体となって自分を包み込んでいた。 

そのとき、「世界が変わった」と思った。しかし、振り返れば、変わったのは世界ではなく自分自身だった。意識が変わることで、世界は良くも悪くも姿を変える。その事実を、42.195kmの果てで知った。  

■「達成」ではなく、「生きている」ということ

ゴール直後、ふと周囲を見渡した。
誰もが汗まみれで、息を切らし、倒れ込む者もいれば抱き合う者もいる。
その一人ひとりが、たとえどんな記録であれ、自らの限界に挑み、ここまで辿り着いた戦士だった。
その姿を見て、言葉ではなく「感覚」で理解した。
 ―今、自分も、彼らも、生きている。それだけで奇跡だ。
普段なら無意識にすれ違っている他人が、愛おしく感じられた。
どんな人も、今日この瞬間、等しく「完走者」だった。

■自然との一体感、自我の静止空を見上げると、風が吹いていた。

 木々が揺れ、雲が流れ、空気が肺に流れ込んでいく。
ただそれだけのことが、あまりにも美しく感じられる。
 自分の呼吸と風と、空と地面が、すべてひとつのもののように感じられる時間。
それは禅で言うところの「無我」や「空」に近いものかもしれない。
 過去も未来も消えて、「いま、ここ」しか存在しないようなあの一瞬。

■数分で消える「悟り」のようなもの

不思議なことに、その境地は長くは続かない。
 5分、10分もすれば、疲労が押し寄せ、喉の渇きに気づき、次第に「いつもの自分」が戻ってくる。
交通機関の時刻表が気になり、腹が減り、スマホを開いて通知を見る。
…たった今まで、あれほど澄みきっていた心が、
 少しの現実によって静かに霧散していく。
だが、不思議と寂しさはなかった。
 あの感覚は「消えた」のではない。
 きっと自分のどこかに、静かに沈殿・痕跡(エングラム)している。

■科学では測れない、けれど確かに存在する感覚

のちに知ったことだが、長距離走行の極限下では、
エンドルフィン、ドーパミン、セロトニン、アナンダミドなど、いわゆる「幸福物質」が脳内で放出されているという。
だが、数字や物質の話では片づけられない何かが、あそこにはあった。
理屈ではない。ただ感じられた、つながりと静寂
それは、坐禅や瞑想をしてもなかなか得られないという「境地」に、身体を通して、偶然辿り着いてしまった瞬間だったのかもしれない。

■結び:この感覚を、ふたたび味わうために

マラソンの魅力は、単なる競技や記録更新にとどまらない。
 走るという、あまりに原始的で、シンプルな行為の果てに、一時的な「悟り」や「無我」の感覚に触れられる可能性がある。

それは、決して永続しない。
けれども、一度それを味わった人間は、もう元には戻れない。
静かに、またあの場所に戻りたくなる。
ただ走り、ただ感じ、ただ生きる。
その先にある「何か」を、ふたたび見つけるために。


脳が見るゴール ― マラソンと神経化学の秘密

 フルマラソンを走り終えた直後の「感謝」「一体感」「世界が変わる感覚」。これは単なる精神論ではありません。脳内では、複数の神経伝達物質とホルモンが、まるで交響曲のように入り乱れ、ひとつのクライマックスを迎えているといえます。

1. ランナーズ・ハイとエンドルフィン 

 極限運動により分泌されるエンドルフィンは、「脳内モルヒネ」とも呼ばれ、痛覚を抑え、多幸感を誘発します。臀部の張りやふくらはぎの痙攣すら、「まだ走れる」と感じさせた背景には、この物質の働きがあります。
さらに、エンドルフィンは前頭前皮質や辺縁系に作用し、情動を柔らかくし、他者への寛容さを高めるといわれます。 

 

2. セロトニンと平穏の芯 

 長時間の一定リズム運動と呼吸制御はセロトニン神経系を活性化する。セロトニンは、精神の安定感、自己肯定感、社会的親和性に直結します。40km地点での「混乱と静寂の同居」は、このセロトニンが脳内の感情回路に“静けさ”をもたらしていた証左かもしれません。

 

3. アナンダミド ― 自我の輪郭を溶かす 

 近年注目のアナンダミドは「至福」を意味する内因性カンナビノイド。海馬・扁桃体・前頭前皮質などに作用し、自己と外界の境界をあいまいにします。ゴール後、「世界が変わった」と感じたのは、外界の変化ではなく、この物質によって知覚のフィルターが変わった結果だった可能性が高いといえます。

 

4. ドーパミン ― 報酬系の爆発 

 ラスト100mで記録更新を確信した瞬間、ドーパミンが脳の報酬系(側坐核・腹側被蓋野)に大量放出される。これにより、過去の努力が一気に意味づけされ、自尊心や達成感がピークに達します。この瞬間、脳は「もう一度味わいたい」と強く学習します。 

 

5. オキシトシンと人とのつながり 

 フィニッシュ後、周囲と自然に言葉を交わす親和感。その背後には、オキシトシンの分泌があります。元来は母子間の愛着ホルモンですが、、極限を共有した仲間にも同様に作用し、深い信頼感を形成します。 

 

6. 神経興奮と抑制のバランス 

 運動中、脳の興奮性神経回路(グルタミン酸)は活発に働き続けます。しかし、ゴール直後に訪れる静けさは、抑制性神経回路(GABA)の働きによって生じる。GABAが過剰な興奮を沈め、内面を見つめる余裕を生みます。
瞑想や禅がGABAを高めることが知られており、マラソン後の心境はまさに動的瞑想状態
に近いともいえます。 

 

 ・・・冒頭の「たった3時間の旅??」、3時間は長いよ~と思われるかもしれませんが、禅や瞑想の境地においては3時間どころか、数年や人生をかけても到達できないとも言われています。
しかし実際にマラソン完走された方はなんとなく分かると思います。その時の感情、脳内システムがどんな時(困難やストレス)でも発動していれば、苦しくない人生ともいえるのです。
私も今後もトライしてまいります。